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具 正謨氏(クゥ・チョンモ)
イエズス会司祭・上智大学神学部准教授

(約50分)6月29日更新 New!


「聖なる三日間」「センススフィデイ」
プロテスタントの私には初めて聞く、耳慣れない言葉もありました。
でも、そんなこと、全然関係ありませんでした。

日曜日毎に捧げている礼拝。
「クリスチャンなら当然」とでも言うかのごとく繰り返してきたのに、
「礼拝とは何ぞや?」と、
こんなに考えたことは、正直、無かったです。

礼拝。
それはある意味で、いつも同じことの繰返しです。
それを、キリスト教会は2000年以上し続けてきました。
なぜそんなことをする必要があるのか。
その「根」とは何なのか。
なぜ私たちは、ここに、いつもいつも立ち返るのか。

いつもの礼拝が、新しく見えてきます。
(聞き手・長倉崇宣)



▶月刊誌FEBC1566記事より









「礼拝の出発点—聖なる三日間」
―キリスト教会は二千年以上に渡り絶えず礼拝を守ってきたわけですが、
そもそも礼拝とは一体何か、これまでの歴史も踏まえてお聞かせ頂けますか。
▼「礼拝」という言葉を一番簡単に説明しますと、
「キリスト者たちの祈り」だと思うのです。
一人での祈りではなく、同じ神を信じている共同体が、
神に向かって賛美と感謝を捧げる「祈り」だと思います。


七十年代頃に書かれた使徒言行録を見ると、
初期キリスト者たちがなぜ礼拝をし始めたかということがよく分かります。
やはり礼拝の出発点、原体験というものは、
イエス・キリストの復活の体験だと思うのです。

―復活を体験することが礼拝の原点なのですね。
▼そうです。
それはただの復活ではなく、
厳密に言えば「聖なる三日間」と呼ばれる出来事ですね。

―「聖なる三日間」とは?

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